マンチェスター大学「平和学」のはじまり、はじまり
「人類は紛争と共に発展した。」そう言えば戦争を正当化することになるのだろうか。しかしながら、私は別の解釈で理解したい。「人類は紛争解決と共に発展した。」と。
20世紀は第一次、第二次世界大戦など各地で巻き起こる資源を狙った紛争は数知れず、世界中の人々は「戦争」の恐怖と絶望を味わったゆえ、戦争の世紀とも言われている。戦争は偏った知識に溺れ、他方の意見を尊重せず排除の道を強制された。平和はそのような混沌とする中で、世界中のありとあらゆる分野を研究する学者が問いた疑問でもある。そこで生まれたのが「平和学」である。
私が学んだ米国マンチェスター大学は規模こそ小さいが、とてもすばらしい平和学を提供している。この大学は、ブレズレンというキリスト教プロテスタント派の精神を受け継いでおり、メノナイト、クウェーカーと並び、歴史的な三大絶対平和主義教会の一つと言われている。それは16世紀頃から戦争に対して公に反対し、兵役拒否を貫くからである。第一次世界大戦では、多くのブレズレンの男性たちが徴兵制に対して拒否をし、粛々と監獄に入った者もいれば、非戦闘員として戦場に送られた者もいた。国内に残れた者は世間からの非難に堪えながらも、社会奉仕をすることで軍人になって誰かを傷つけることを最後まで選ばなかった。第二次世界大戦では12000人が兵役拒否をし、収容所や刑務所に送られた。
その後、当時の学長や学者たちの努力の末、1948年にマンチェスター大学にアメリカで初となる平和を専門に研究でき学士を取得できる平和学専攻が誕生した。平和学として、平和哲学や国際関係論、紛争分析、非暴力運動など多岐にわたる研究が行われ、単独専攻する人もいれば政治や物理学と共にダブルで専攻する人もいる。また、人権運動家のドロシー・デイやマンチェスター大学でスピーチを行ったルーサー・キング牧師など著名な平和活動家、学者に捧げられた「Peace House」では毎週平和学を専門とする学生が集まり、映画上映会や議論が行われている。
学生は世界各地から集まり、市民と学者の心の中から湧き上がる平和への想いを次世代へと伝え続けている。そこで私は国際関係論と非暴力運動を中心に、市民が国家や世界を変革する運動について学んだ。学生たちは日々研究を深め、テロなどの紛争分析や世界中で起こり続けている非暴力運動のエキスパートとして国家や市民に啓発を行っている。私も含め平和学専攻の学生の多くは卒業後、世界中で社会奉仕活動を自発的に行っており、自ら学んだことを身近な活動を通して広めている。
平和学はまだまだ発展途上であり、現代を生きる私が想う平和への夢はいつ実現するのか知れない。しかしながら、私の恩師であるマンチェスター大学教授のケネス・ブラウン先生は平和学の存在について私にこう語った。「軍事学があるなら、平和学もあっても良いのではないか?マンチェスター大学はエリートを輩出しない。その代わりに、人類の奉仕者を輩出したい。」と。平和学は世界中で研究されており、最近ではアメリカだけでも400以上の平和学・コースがある。そして、平和学は永遠の問いを私たちに与えてくれる。「平和とは何か。」と。