風変わりな高校恩師と女子高生

 前回、中国の研修について綴ると書いたが、今回は中国に行くまでの出来事として、尾張先生を紹介したいと思う。尾張先生は私が通っていた高校に2年生のときに新しく赴任してきた社会科の先生である。先生は私の人生に大きく影響を与えた恩師の一人といえる。

 学校の階段を上ると大きな窓があり、天井が吹き抜けになっている。日の光が直接差し込む真っ直ぐの廊下。本を抱え、制服のスカートを翻し、たっくさんの光を浴びながらその廊下を歩いていく。目指す先は尾張先生がいつもいる社会科準備室だ。

 平和とはなにか。それを自分で本を探して読み出したのは高校2年生の頃だった。平和は教育や経済、政治など他分野とも密接に繋がっており、とても複雑な問題であるとわかるとさらにワクワクしたのを覚えている。汚れる海もアフリカ地域の少年兵も、そして平和活動に人生を捧げた勇敢な女性方も、開く本の中でたくさんのところに行き、たくさんの人に出会わせてくれた。読むもの全てが大きな衝撃を与え、世界に向けて目を開かせてくれた。

 関心のある事はどうしても話したくなるものだ。でも親や友達はだれもそんな事に興味すら示さなかった。そんな時は学校の先生に質問をした。「どうして戦争をするの?」「どうして・・・?」社会科の先生であっても"戦争"という繊細な問題に対してきちんと考えを教えてくれる人、逃げるように話を逸らす人など対応は様々だった。特に公務員として政治的な発言は許されないと言う様にお茶を濁して片付ける先生は少なくなかった。学校では政治や経済、歴史を教えるのに、なぜ授業以外でそれらの質問をしていけないのだろうか。「いろんな人と社会の事、政治のことをもっと話したい。」強くそう感じていた。
 
 そんな中、尾張先生と出会った。見た目は普通だが、地理の授業で「世界がもし100人の村だったら」の絵本を取り出す一風変わった教え方をする先生だった。その授業では、テストのために知るべき単語だけではなく、世界の不平等や貧困格差のことを教えてくれた。私はその絵本に興味を持ち、授業後に借りに行くために後を追って声をかけた。それが最初の出会いであった。
 
 先生はいつも優しい声色で楽しそうに笑いながら政治の話をする。決して焦らず、時間をかけていろんなことを教えてくれた。一方的な意見だけを聞かせるのではなく、考えるための本と時間を与えてくれた。昼休みと放課後は社会科準備室で先生と話をして時間を過ごした。時には職員室まで乗り込んで先生を探しに行った事もしょっちゅうだった。成績がつく教科ではないが、その課題について考え、その考えを先生と話し合うことによってさらに関心は深まっていった。正直、一方的に教え込まれるどの授業よりも面白く、やりがいを感じていた。"平和とはなにか"その答えに一つ近づけたかと思うと、新たな疑問が生まれていき、再び先生と話をしてみる、毎日がその繰り返しだ。まさに、尾張先生は学ぶ事の楽しさを教えてくれた恩師である。
 
 通っていた学校は進学校ではなったが、進路に悩んでいることを伝えると、先生は私に北星学園大学経済学部へ進学することを勧めてくれた。受験勉強を始めた頃、先生は「受験参考書を読むより、これを隅から隅まで一度読んでみたら。覚えようとしなくてもいいから」と言って政治・経済の資料集を1冊貸してくれた。言われるままに読み始めた資料集の一節に「経済恐慌に見舞われた日本は、アジアに市場や資源を求めて戦争への道を進んだ」という趣旨のことが書かれていた。戦争する理由についてまだ充分理解出来ていなかった私はその文に衝撃を受け、すぐさま尾張先生のところに飛んでいった。そして本のその一節を指さして、「先生、これって本当ですか?」と詰め寄った。先生は驚いたようすだったが「本当だよ。」と答えると、私はショックのあまりにその場で泣いてしまった。「こんなもののために日本は戦争をしたんですか?」お金のために何百万もの尊い命が失われたことが信じられなかった。なかなか泣き止まない私に尾張先生はさぞ困っただろう。その時以外にも、世界に蔓延る不義理を知り、怒り泣き出すのも一度や二度の騒ぎではなかった。
 
 こんなエピソードもあった。全校生徒が集められた講演会が行われ、講師が「競争社会を勝ち抜くためにメンター(心の友)を持て」というような話をした。別の先生から講演後の「サクラ質問」を頼まれていた私は、正直困っていた。なぜなら偉そうなその講演者の話に全く共感できず、内容を全然聞いていなかったのである。もちろん質問なんて1つ思いつくはずはなく、うんざりしていた私は講演中にこっそり尾張先生のところに駆け寄って、「何を質問したらいい?」と聞いた。そうしたら尾張先生はニヤッとして「競争に負けた人はどうすればいいんですか?って聞いたら」と言ってのけた。300名以上の生徒がいる前でそんな話の腰を折るような質問では講演者に失礼だろう、とその質問は断った。そしてサクラとして当たり障りない適当な質問をしたのを覚えている。今考えると、先生はどんな相手の話もしっかり聞き、勇気を持って正直な意見を言う大切さを教えてくれたのだと、大きな教えになった。
 
 先生のもとで育てた好奇心と疑問はアメリカのマンチェスター大学で平和学を専攻することにつながった。
 
 尾張先生とは今でも交流があり、後に教えてくれたが、私のように社会問題や政治的なことに関心を持って心のままに質問をする生徒は当時の学校で他にいなかった。むしろワクワクしたそうだ。
 
 尾張先生も風変わりだが、私も相当風変わりな女子高生だったに違いない。

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