自分の眼で知ること

 中国人ってどんな人だろうか。想像してみると必ずしも良いイメージはなかった。実際に中国人と話をしたことは一度もない。でもテレビ番組や大人の話を見聞きしているうちに、私は気づかないうちに中国人に対する差別的な偏見を抱いていた。

 高校3年生の夏休み、JICAのエッセイコンテストの副賞として中国の吉林省、長春を訪れていた。北京オリンピックを控えていたこの頃、いたるところに高いビルが建設中で、古い建物と新しいコンクリートの建物が混在していた。車がたくさん走り、埃っぽい空気が街を覆っていた。中国語に囲まれると轟々しく、皆怒っているように思えた。

 私はそこである高校に向かった。そこでは立派な門に囲まれた大きい高校だった。コンクリートでできており、長方形のシンプルな形をしていた。真ん中に朱色の横断幕があり高校の名前が書かれていた。建物の中に入ると誰もいない。しかしながら、1つの部屋にはいるとその中にはたくさんの学生たちがひしめいていた。日本人の高校生を歓迎するために夏休みでありながらたくさんの生徒が集まっていたのだ。4〜5人に対し一人の日本人が入って高校生同士で交流することになっていた。中国語が話せるわけでもないのに突然学生に囲まれてしまい、緊張の余り小さくなってしまった。しかし、彼らは明るく日本語で私に話しかけてきた。彼らは全員日本語を勉強する生徒なのだった。彼らは初対面の私に積極的に話しかけてくれた。日本の誰もが知っている人気アニメで話が盛り上がる場面もあった。彼らの日本語を学ぶ勤勉さと言葉の間違いを恐れないでどんどん話しかける姿勢は私も見習うべきだと痛感させられた。

 その後、私はある女子生徒のお家にホームステイすることになった。彼女は1歳年下で、はつらつとして聡明な女の子だった。彼女ももちろん日本語を勉強しており、中国語を話せない私との会話はほとんど日本語でやりとりをした。彼女の家はコンクリートマンションにある一室だった。広いリビングで大きなテレビと広々としたソファ。台所もあって、快適そうな綺麗なお家だった。海外のお家にお邪魔するのは蜘蛛の巣が天井を覆う、木と葉でできた風通しの良いカンボジアの家以来だった。なんだか慣れない雰囲気にそわそわした。でも、そこで彼女の両親はそんな私をやさしい眼差しで暖かく迎えてくれた。
 
 その女の子と私は二日間一緒に過ごした。夜にはカラオケに行き、夜の街を歩いてみた。朝ごはんには小さな食堂で家族と一緒にお粥を食べた。言葉の壁はあり意思疎通が上手くできないこともしばしばだったが、私は中国で大切な友だちができた。彼女はテレビや噂で聞くような自己中心的で態度の悪い中国人のイメージには少しも当てはまらなかった。
 
 彼女に出会ったことで私は中国に対するイメージがまるで変わった。いろんな話をしていくうちに、違いを認めながらたくさんの共通点を見つけていった。むしろ違う視点や考え方を話し、新しい発見をする事が楽しくなっていった。もしかしたら、テレビや他人の言葉は以前の私のように偏見によって盲目になり、勝手なイメージで言われたことだったのかもしれない。噂に左右されるのではなく、実際に自分の目で見ること、感じることの大切さを教えてくれた。

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